スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

お知らせがあります

本日は皆様にお知らせがあります。

父 阿部征司ですが、12月29日(土) AM9:50 東京都内の病院にて息を引き取りました。
病名は拡張型心筋症とのことです。

10月に通院していました病院での定期健診の際、胸部レントゲンをとりまして、その時に肺に影があるのを担当のお医者様が見つけてくださいました。心室頻拍の持病がありましたので、肺の機能が衰えて、心臓に負担がかかり不整脈が多発すると大変なので、入院を勧められ、入院することに
その後、呼吸器科がある病院に転院したほうが良いとのことになり、10月末に病院を移りました。

呼吸器科のお医者様の見立ては、間質性肺炎。
通常であれば、肺に内視鏡を入れて、検査をするのですが、父の場合、血中酸素が低く、検査をすると命にかかわるので、検査できず、ですので、考えられる可能な限りの治療をしてもらい、肺の影も薄くなり、今月末、12月29日に退院することが決まっておりました。

が、当日の朝、急変したので病院に来て欲しいと電話があり、母と妹夫婦、私がかけつけた時には人工呼吸器がついており、会話は勿論、目と目が合うこともなく、最期は、家族に見守られて、天国に旅立ちました。

退院には2種類あるそうです。
生きて病院を出る退院と、亡くなって病院を去る退院。
父は後者の退院で、今は自宅でゆっくり眠っております。

年が明けたら最寄の駅の近くのリハビリの病院に通い、杖をついて歩けるようになりたいというのが本人の希望でした。
このような結果になり、本当に残念です。
なんでこんなことになってしまったんだろう・・・。

1階に降りれば、父が普通に寝ているので、亡くなったという実感は強く感じないのですが、
それでもよくよく考えると死んじゃったんだなと思い悲しい気持ちになります。

今回の入院では毎日来て欲しいと言っていました。
本人の中で何か思うことがあったのかもしれません。

最後になりますが、葬儀に関してですが、
生前、父の知り合いが亡くなった際、家族葬にしたという話を聞き、「家族葬いいな~それ」と申しておりましたので、
年明け5日に親族のみで家族葬を執り行いたいと思います。
誠に勝手ではありますが、ご理解くださいますよう、お願い申し上げます。

コメント

大変ショックを受けました。

このたびのご訃報には、大変なショックを受けております。

私は「仮面ライダー」全盛期にど真ん中ストライクの世代でしたので
EDの冒頭で画面に映る「企画  平山亨  阿部征司」の文字には
子供心にかなり強い印象を受けておりました。

従いまして平山先生のお名前と共に阿部先生のお名前も凄く印象
的で幾つの歳になっても忘れられないお名前で御座いました。

後年、成人しました後に、阿部先生が「仮面ライダー」の誕生にどの
ように深く関わられていたのかを知り常々、ご尊敬しておりました。

それだけに今回の突然のご訃報には非常に悲しみを覚えます。
非常に残念です。

最後に・・・

「阿部プロ」こと阿部征司先生、私たちに素晴らしい夢を色々と与えて
下さり、ありがとうございました。

阿部先生のおかげでこの世を正しく生きていくのに本当に必要な事や
正しい心、そして優しさとは何であるかを学ぶ事ができました。

この事はわたしにとって掛け替えのない財産となりました。
この心を今度は私たちが私たちの子供たちに伝えていきたいと思います。

本当に本当にありがとうございました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

訃報、日高美子さんの記事で知りました

阿部さんに平山亨さん、そして2年ほど前に

他界された生田スタジオ元所長の内田有作さん

この方々がいなければ、仮面ライダーも

スーパー戦隊も誕生しなかったでしょうね。

ここ最近、昭和の特撮作品に関わられた方々の

訃報が相次いで、残念でなりません。

レッドビッキーズも2作とも観てました。

阿部さんが最後にチーフプロデューサーを担当された戦隊シリーズの

「科学戦隊ダイナマン」を観た後に知ったので

観たいと思ったことが虫の知らせだったんじゃないかと思えてなりません。

阿部さんには向こうで内田有作さんや、折田至監督

奥中惇夫監督、大野幸太郎代表などの方々と

向こうでも子どもたちに夢と勇気を与える作品を

創ってくださいとメッセージを送りたいです。


*日高美子ブログより転送

安らかにお眠り下さい。


私の心の師匠である平山プロデューサーが、いつも

「【仮面ライダー】シリーズは、阿部ちゃんが女優さんのキャスティングとか、予算のこととか、僕が苦手な所をみんなフォローしてくれたから俺は自分の得意とすることだけに集中することが出来て良い作品にすることが出来たんだ。」

と、いつもおっしゃっていました。
江東区の古石場文化センターで、仮面ライダーのイベントがあった際、壇上で語る阿部プロデューサーのお姿を客席から初めて拝見することが出来ましたが、それきりとなってしまいました。

阿部さんは、随分前に心臓にペースメーカーをつける手術をされたと聞いていたので、心配していたのですが・・・。

元旦の読売新聞の訃報欄で阿部さんの訃報を知りました。
日高さんと阿部さんの関係を、日高さんのブログを読んで知っていた私は・・・。
阿部さんのご冥福を祈ります。

祝・復活!石ノ森萬画館。アニメ史研究&漫画史研究家本間正幸

*日高美子ブログより転送

阿部美佐さんへ

5日の家族葬、お疲れ様でした。無事お父様を送りだすことができ、ほっとしておられることと思います。また、ご多忙の最中にご連絡いただき、誠にありがとうございました。

私のブログの方に、お父様、阿部征司さんの特集記事を書かせて頂きましたので、ご覧いただければ有難く思います。

それから、私の記事に、阿部さんへのお悔やみをお寄せくださった方のコメントは、こちらの方にも転送させて頂きますので、どうぞよろしくお願いします。

今のところ、あかれんじゃ@ウルトラ応援隊さんと、全温度チアー4号さんの貴重なコメントを転送させて頂きました。なお、全温度チアー4号さんのコメントが、私の不手際で重なって入ってしまいましたので、落ち着かれましたら、ひとつは削除して頂きますよう、お願いいたします。

どうぞお疲れが出ませんように・・・・!
諸々のこと、お身体に気を付けて、頑張ってください!陰ながら応援しております。

ありがとうございました

ただただショックです

当方45歳、
仮面ライダーに育ててもらったようなもので、
ライダーは私の一部です。
自宅にはライダーワールドグッズがあふれています。

身体の不自由な私にとって、
ライダーは夢を与えてくれる存在でした。
本郷猛や一文字隼人のように、いつか手術で身体が治るかもしれないと。

また、ライダーのように、困難に負けずに生きろ、と背中を押されてきました。

ですから、お父様にお会いしたことはありませんが、
ライダーのスタッフの方々は、私には恩人です。

ただ、感謝しかありません。
ゆっくりお休み下さい。
ありがとうございました。

ご冥福をお祈りいたします

私は荒木しげるさんのチャリティトークショーで阿部さんと遭遇したことがありました。

私はその日、ゲストで出演される某俳優さんのご配慮で楽屋に入れてもらい、阿部さんらもいらっしゃったわけですけれども、失礼ながら当初はお顔を見ても誰だかわからず、阿部さんだと把握できたのは本番に入ってからだったものです。

むかしの思い出話をされる阿部さんは、穏やかな口調ではありましたが、ときにギリギリな話題をイタズラっぽく話されてたサービスぶりが印象的でした。
あのときは主に『ライダー』の話題が中心だったのですが、個人的にはいつか『レッドビッキーズ』のお話も伺いたかったものです。

斎藤とも子さんのギター弾き語りのシーン、ハッキリと覚えております。

とても残念です


奇しくも年末、東映作品に関係する会社の忘年会から帰宅した際に友人からメールをもらって、阿部さんの訃報を知りました。

「仮面ライダーシリーズ」に関係する方が、また1人天に召されました。

私は直接お話したことはありませんが、阿部さんのプロデュースされた作品の数多くをリアルタイムで観ています。

私の人間形成の一端は紛れもなく阿部さんが関わられたヒーロー作品から受けています。

今はそのひとつひとつを思い出し、あらためて胸に刻んでおります。

国産テレビドラマの歴史に偉大な足跡を残された阿部征司プロデューサー。


慎んでご冥福をお祈り申し上げます。

阿部征司さまへ

心より、お悔み申し上げます。
連絡ありがとうございました。

連絡を受けた今でも、正直信じられず、しばらく普通に過ごしておりましたが、寝床に入るなり、とてつもない悲しみが襲って、ひたすら30年以上前の阿部さんとの想い出を、ひとつひとつ想い出しておりました。それが阿部さんへの供養になるとも思い・・・。

思えば、コロムビアの学芸歌手になり、上京して一人暮らしをしていたころ、今と違って、不器用で世渡りべたの私を一番あたたかく見守ってくださったのが、阿部さんだったような気がします。当時は売れっ子プロデューサーでお忙しく、密におつきあいしたというわけではありませんが・・・。いつも陰ながら私を気遣い、見守ってくださいました。

大物プロデューサーに可愛がられているというのに、バカな私は、出世欲というものが当時はまったくなく、ただ、阿部さんとお話しするとほっとして、嬉しい気持ちになる・・・お友達のような感覚でおりました。

もっと阿部さんに自分をアピールしていたら、演技のお仕事も、多くいただけだでしょうに・・・(笑)

そういえば、こんなことがありました。

「美子さん、今度戦隊ものシリーズの第〇話のヒロインのオーディションをするからいらっしゃい」と・・・

大泉撮影所に行けば、そこには、審査員は阿部さんだけでした。台本を急に渡され、読んで見なさいという、今から思えば、本職が歌手の私としては、無謀なオーディション?

悪者に捉えられ、縄で縛られているところのセリフでした。練習する間もなく、セリフを言ってみますと・・・

「ダメだ。美子さんのセリフは舞台用で、TV用ではない」

と、落とされてしまいました(笑)

劇団で舞台劇しかやったことがなかった私が、いきなりTV用のセリフが言えるわけがありません。私はしゅんとなり、とぼとぼとその日帰りました。

今だったら・・・「阿部さん。一日だけ時間を下さい!TV用のセリフを研究して、明日合格できるようチャレンジしたいので、もう一度チャンスをください!」と、言っていると思います。

阿部さん、このときのことが悔やまれるよ~。と天国の阿部さんに伝えたいです。

なんだかんだ言っても、阿部さんは私に、ドラマのギターの吹き替えや、端役などのお仕事をたくさんくださいました。心から感謝しております。

一番思い出深いのは、「燃えろアタック」の八丈島ロケで、初めて細川静子という役名をいただいたときのこと・・・。なが~い船旅の中、荒木由美子さんや三原じゅん子たちと、大盛り上がりパーティーをしたことや、素晴らしいビーチサイドのホテルで、阿部さんたちと楽しく過ごした日のこと・・・。

でも、寒い季節にプールに飛び込んだり、待ち時間がなが~~~~~~~くて、自分の出番が来たら、疲れてしまい、「なんだその寝ぼけた顔は」とカメラマンの方に言われたり・・・・。「私は役者にならなくてよかったです」と、本音を吐かせて頂きましたね(笑)

最後に特筆すべきことを、取っておきましたよ。この「燃えろアタック」は、最近DVD化されましたね、阿部さん、

☆おめでとうございます!!☆

この番組のエンディング「お元気ですかお父さん」を歌わせて頂いたのが、阿部さんとの最初のご縁でした。八手三郎のペンネームで、北海道駒ヶ岳や大沼などの詩情溢れる素晴らしい詩を歌わせて頂き、この歌は日本中のみならず、中国でも大人気になり、ドイツでも、中国の方に「この歌知ってる」と、一緒にそらで歌って頂いたこともありますよ!

「それゆけ!レッドビッキーズ」では、主役の斎藤とも子さんの、ギター指導を阿部さんから承り、貴重な経験をさせて頂きました!

そして、30年の時空を超えて、とも子さんとも再会し、彼女を交えてライブをやったときには、お嬢さんと来てくださり、本当にありがとうございました!
実はこのライブが始まる直前まで、大変なパニックと闘っておりまして、自分のライブを進行することに必死で、登場して頂いた阿部さんへの気配りが足りずに大変失礼してしまいました!!本当にすみませんでした!!

30年ぶりにお会いしたというのに、その後、阿部さんは予定があり、打ち上げでゆっくりお話しもできずに、本当に残念でした・・・。結局、一度もゆっくりとお会いすることができなくて、このことが悔やまれますが、思い返せば、お電話で何とたくさん阿部さんとお話ししたこと・・・。

そして私がブログ記事で阿部さんと荒木しげるさんを取り上げたときや、仮面ライダーのお話を取材して記事にしたとき、本当にうれしそうに、生き生きとお話ししてくださって、ありがとうございました!

阿部さんが長いこと通われた、今は近所の東映太秦撮影所。ここでもずっとお仕事されてたのだなあ・・・・と感慨深げに見つめてしまいました。私の中では今でも「優しいおじさま」(笑)の阿部さんですが、名プロデューサーさんとしての足跡を、これから少しずつまた取材していって、皆様にご紹介ていきたいと思います。

最後に阿部さんが大好きだった、私のオリジナル曲、「紫陽花寺」を、少しさびしい曲ですが、歌ってさしあげますね・・・!


紫陽花寺

紫陽花寺の絵馬に書かれた 恋人たちの言葉を 無邪気に読んでるあなた

私は背を向けて 季節外れの木々に 花の咲く日をじっと 待ち焦がれています

枯れ木になりそうな 私の心に ささやかな愛を咲かせてください

春夏秋冬 いくら越しても 花の咲かない紫陽花寺



いくつもの石段 小さな足が痛い つまずくたびにあなたが 遠くなっていくようで

綴りかけの今日の 紅色の詩集は 芯が折れてもうこれ以上綴れない

もしもあなたが手を差し伸べたら すぐに上りつめられるのに

春夏秋冬 いくら越しても 花の咲かない紫陽花寺
花の咲かない紫陽花寺



阿部さん、紫陽花は私が一番好きな花です。ひょっとして、阿部さんも紫陽花がお好きだったのかもしれませんね・・・。

阿部さんは天国に行かれても、名プロデューサーの阿部さんの作品は永遠に残ります。

阿部さんの作品を観るたびに、またお会いできるような気がします。

あったかい、あったかい、真心を、本当に本当にありがとうございました!

不器用でどうしようもない女の子を救ってくれました・・・。


合掌・・・いえ、おおきな声で合唱!!(^0^)/・・・・☆



非公開コメント
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。